自然栽培、食、生命、地球のこと

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ハミングバード

人、家畜、作物が共存する心地いい循環型農業

新潟県新潟市の稲作農家。湿地帯だったこの地を、干拓で肥沃な農地にしてきた祖先の代から数えて、私で10代目になります。
ここで、米作りと鶏の平飼い(地面の上を自由に歩かせる飼い方)をしています。
両親の時代は、高度経済成長の時代だったので、肥料・農薬を使って、多収を目指した農業をしていました。
その頃、特別栽培米制度(特別なお米については自由にお米を売っていいという制度)が施行されてから、父はお米を自分で売ることに取り組みだしました。もともと東京で商人になりたかった父でした。手塩にかけたお米を、自分で売れるという、やりたかったことができるようになって、農業をやってきて本当によかったと思ったそうです。こうして父母の時代に、お客様に、直接お米や卵を届ける現在のスタイルが出来上がりました。

私は、学校を卒業してから、地元の食品会社に就職しました。1年の3分の1ほどは北海道で筋子、鱈の子の製造、ウニの加工品の製造に携わっていました。そこで北海道羅臼(らうす)沖のスケソウダラなどの海洋資源がどんどん少なくなっているのを目のあたりにしました。安い魚の代名詞だったものが、どんどん高級になっていくわけです。ニシンやイワシなど、以前は日本の沿岸でいくらでも採れた魚だったのが、まったく採れなくなったわけですね。人が川や堤防を護岸して、ニシンやイワシが産卵できる場所がなくなったり、森や山を汚し、汚れた川の水が海に流れて、バクテリアを含めて、エサになる小さい生き物たちがいなくなっていったりと、魚が採れなくなった原因は、実は人間自身にあるんですよね。自分は、そうゆうことをしない生き方をしたい。そう思うようになりました。

勤めていた会社は、とてもいい会社でいろんなことを学ばせてもらいました。自分がいなくても、大丈夫な会社です。でも我が家の田んぼは、自分がいなければ、なくなってしまうか、だれかにお米を作ってもらうかしかないでしょう。そう考えて18年前にサラリーマンを辞める決意をました。

環境に負荷をかけない、生き物がずっと生きていける、川や海が汚れない、日本の沿岸にも魚が暮らせる農業がしたいと思って農業を始めました。

最初に学んだのが、韓国自然農法でした。韓国自然農法では、稲作の副産物と家畜は非常に相性がいいと教わりました。専業農家で生計を立てていくために、稲作以外のことも考えたいと思っていましたから、「これはいいなぁ」と感じて、それで鶏を飼った訳です。
田んぼの副産物、稲ワラや、もみ殻や、シイナ、畔草は鶏のエサであり、鶏の環境を良くする資材なんです。

また、当時無農薬でお米を作っている人は本当に稀で、困ったことがあっても一人で悩んだり、頑張っていたのですが、ぽつぽつ無農薬で稲作をする人たちがふえ自然と集まるようになり、勉強を始めました。そこでは、一人じゃないから辛くないし、草対策の問題など、これまで一人で解決策を見つけるのが難しかったことも、加速度的に解決し始めました。

大規模農業でも、兼業農家でも、新規参入農家でも、だれでも出来る無農薬の技術を見いだして、次の世代に繋げていくという目標を掲げて有機稲作研究会を組織、メンバーの数は少しずつ増えて、有機稲作研究会のメンバーは10人ほどになりました。
その頃、すごい人がいるらしいという噂で木村秋則さんを知りました。
早速「リンゴが教えてくれたこと」という本を読み、とても感動しました。
いままで私がやってきた有機農業とは、ちょっと違う世界。

何も使わない? 肥料も使わない?そんなことが出来るのか?
果たして、肥料を投入しないで山の土のような腐葉土が出来るのか? 根がどれくらい活き活きと働くのか? といった疑問から、どうにもイメージがつかめないでいました。その後しばらくして、木村さんの講演に行く機会があり、質問タイムに木村さんに質問してみました。「私は平飼いで鶏を飼っているのですが、日本中でたくさん家畜が飼われていますが、その糞尿を活用したり、循環することをどう考えていらっしゃいますか」と。

木村さんは「そうだねぇ、畜産物は循環させてやる必要があるので、未熟なものは土に入れてやると害があるけれど、二十日大根がなるくらい完熟したものであれば、土に戻しあげてもいいんじゃないでしょうか」とそう説明されました。それで、なんとなく納得はできたんですが、自分が十数年かけてやってきた循環のスタイルと合うものなのか?そうゆうジレンマ、迷いは残りました。

それでも、木村さんの魅力にひかれ、人となりにふれていく中で、自然栽培をやり始めることにしました。

自然栽培1年目:ポイントをいくつか聞きながらやってみたところ、草だらけ!「あっ、これは中途半端にやってちゃ駄目だな」と思いました。結局、木村さんの本に書いてあること、言葉で言ったことも、ついつい自分流でやってしまうんですよ。「ここは10センチくらいで」「ゴロゴロに耕して」って言われているのに、ついつい今までのやり方でやってしまう。木村さんが言ってきたことと、自分がやってきたことが違う。中途半端な気持ちじゃ駄目だ。やるなら真剣にやりたい。そんな時「今までやってきたことを全部忘れてやったらいい」、自然栽培の先輩にアドバイスされ、やると決めたら、木村さんを信じてしまおうと決意しました。

自然栽培2年目:本気でやろうという決意。ありがたいことに有機稲作研究会の有志達と一緒に、木村さんから指導をいただくことになった。
一番嬉しかったのは、自然栽培の田んぼは、草が大きくならなかったのです。その田んぼはかつて一番草がひどい田んぼでしたが、草はあるんだけど小さい。他の有機の田んぼと比較しても最も安心して見ていられる田んぼになった。肥料を入れた田んぼって草も勢いがつくんですね。稲たちも負けそうなくらい。自然栽培の田んぼは、草はあるんだけれども、これから勢いを増していくというオーラを出していないんです。
これは私の想像ですが、肥料を撒くってことは、地面の表面に栄養があるわけですね。雑草のコナギなんかは根が浅いら、表面の養分を思い切り吸って大きくなる。一方で稲科の植物っていうのは、上に伸びるし根も深く伸びる植物。自然栽培では肥料を入れないから、表面にも下にも肥料が無い。そうすると雑草と稲の間で競合がおきなくて、共存関係が成立する。だから、自然栽培では、根が深くはれるような、稲科の植物が根を伸ばしたくなるような、ゴロゴロの耕し方なんですね。田んぼに立っていると、そこにずっといたくなるような気持ちがいい感じがします。それは、今まで体験したことのない、初めてのことでした。

これが、私が農業を初めてから、自然栽培にいたるまでの流れなんですが、自然栽培については、私は今、4つの視点と感想を持っています。
その1
無農薬でやるとなれば、まずは草対策。自然栽培では、このリスクが小さいという可能性を見いだせたこと。これはすごく魅力的、嬉しい。
その2
しかし、果たして肥料を投入しないで百年、千年と作物を育てていけるのか?
という疑問。でも木村さんのリンゴ園は30年近く一切肥料をあげていないのに、肥料を施している畑の3倍近くの窒素量があるという事実(弘前大学調べ)。ということはやはり、そうゆう世界があるんじゃないかと思っています。自分で確信を得るまでは、段階的に自然栽培の田んぼに切り替えていこうと思っています。
その3 「食べて健康になるものを作りたい」というのが農業を始めた理由。 自分の家族に食べさせたいものを、そのままお客さんにも食べて欲しい。
本来、食べ物っていうのは、それを食べて健康になる為の食べ物だったはず。自然栽培は、最もそれに近いのではないかという気がしています。自然栽培って自分が今までやりたかったこと、理想としていたことにもっともっと近づいていけるんじゃないか、もっとやれることが沢山あるんじゃないかとゆう気がしているんです。

その4
人間が行った行為が、あらゆる環境に負荷を与えている。生き物たちが生きにくい環境をつくってしまった。自然栽培は何も投入しないので、温室ガスを排出しにくい。
有機物であっても投入したら、それはCO2排出のもとになってしまうわけです。投入しないってことは、そういったガスが生じにくいということですから、環境に負荷をかけない農業といえるのではないでしょうか。

一つ一つに価値がある
自分たちが、農家として日常当り前に感じていることが、実は素晴らしいんだと都会の人に教わりました。
日常の農作業も「楽しいね」と。「ここの田んぼって生き物がいっぱいでスゴイね」とか「田んぼを渡ってくる風が気持ちいいね」とか一つ一つに価値があると教えていただいたんです。
畑からとってきたものを、そのまま料理して作るお昼ご飯、それが贅沢なことなんだと。
価値のあるものは、すでに自分の足元にあるのだと。

宮尾 浩史(みやおひろふみ)
1964年、新潟県新潟市生まれ。
国立長岡工業高等専門学校を卒業後、株式会社加島屋 製造部に就職。
1993年同社退職後、家業の稲作に従事。現在に至る。
宮尾農園で稲作・養鶏の生産学育担当。日本自然農業協会、新潟有機稲作研究会、
大月田んぼクラブ、緑農村等の活動に参加。

趣味は竹笛で、神楽や盆踊りなどの行事に吹いている。
両親と妻、1男2女と共に新潟市在住。