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自然栽培の専門店。有機・無農薬野菜&玄米・自然農法ファンの宅配通販

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生産者紹介


関野農園 関野幸生 無肥料自然栽培 【野菜全般】 埼玉
関野農園埼玉県富士見市の農家に昭和46年長男として生まれ高校を卒業後、建築塗装、トラック運転手、自動車整備士などいくつかの職歴を経て、30歳を期に家業を継ぎました。お蔭様で今年農家11年目になります。
初めの1年目は一般的な栽培を行っていたのですが、収穫した作物を買っていただくお客様に対して胸が張れるような、また自信を持って買っていただけるような作物を提供したくて無農薬栽培を始めたのですが、その当初はなかなかうまくいかず悪戦苦闘をしていました。そんな時、無肥料自然栽培と出会い、半信半疑の中2003年にこの栽培を始めました。
私の畑では、6反ほどの面積に約30種類の作物が栽培されており、そのうちスイートコーン以外は全て固定種で、みな種を自家採取しています。植物の生命力はすばらしいもので、種の自家採取と連作を繰り返すことで、年々その土地に適応していくようです。
関野農園自ら、身の回りの環境を整え、次の世代へと種を残すのです。そしてそのお手伝いをするのが、無肥料自然栽培だと思っています。
また私自身、耕作面積を増やそうと思った時期もあったのですが、しょせん妻と私の二人の労働力ではすぐに限界が来てしまい、無肥料自然栽培の野菜を今より増やすには、一人でも多くの人に実践してもらうことが大切だということに気づき、自らの畑も耕しながら普及活動を始めました。
まだまだ経験不足の私ですが、先輩農家を見習いながら農業を通じ、何かこの世でお役に立てるのではと思い、日々手探りで無肥料自然栽培を実践しているところです。

阿部自然農園 阿部知里 無肥料自然栽培 【米】 岩手
阿部自然農園奥州市胆沢にある阿部自然農園。ひとめぼれ特Aランクの産地として全国に有名な米どころ。
父親を早くに亡くされ、母子家庭で育った阿部さん。地元農業高校の助手を務めた後、東京で働いていましたが、母親が高齢になってきたことをきっかけに帰郷し勤めながら田畑を手伝っていました。その後勤めを辞めて現在に至ります。
平成18年より無肥料自然栽培に取り組み平成19年から三年連続食味分析鑑定コンクール国際大会で「特別優秀賞」を受賞。現在は3町歩の田んぼで無肥料自然栽培を行っています。
「苗は赤ちゃんと同じ子育て。田んぼは料理と同じ。水加減が大切なんです」と阿部さん。田んぼが始まると一日二回は田んぼを見て回ります。腰を据えてじっくり観察し必要あれば的確に手を入れていく。まさに子育てそのものです。
田んぼには絶滅危惧生物の野草が生え自然豊かな生態系をみせています。
阿部さん曰く無肥料自然栽培してから、お米の味が「透明感ある」味に変わりました。表現しづらいですが、以前出雲大社に行ったときその参道を歩いていた時に全身で感じた「透明感ある」感じ、あぁそうだ私のお米もこんな味がする、と。
体の中からからマイナスイオンを感じイヤシロを感じるお米かもしれません。
ササシグレはササニシキの親です。全国的に種が出回っておらず、とても希少な品種です。
ササニシキよりも美味であると好評です!ぜひお試しください!!
阿部自然農園 阿部自然農園 阿部自然農園

秋場農園 秋場和弥 無肥料自然栽培 【豆・野菜】 北海道
秋場農園北海道北見の大地で無肥料自然栽培を始めて36年。私達は環境を守り、人の命と健康に資するという農家としての道義心の下、未来の子供達へ安全で美味しい物を提供する事が農業者の義務責任だと思っております一方で際限なき無限大。もう一方で現代科学にて未だ解明されない無限微の太陽系宇宙エネルギーの恩恵を受けて全生命の呼吸を許されているこの地球にあって、無から有を生み出せる生産の最前線にある農業者として太陽(火)、空気(水)、土(土)の三大恩恵によって生産される作物が人々の健康を豊かに作り出し、その大地から発せられるエネルギーは地球環境浄化に、又人心のうるおいに寄与しうるのではいかという事を事実を以ってその型を示せるよう最善を尽くしたい!
私の祖父母が北見市に入植致しましたのは大正15年。その年に父が生まれたということですので、ちょうど4分の3世紀となるようです。北海道の開拓の歴史は屯田兵制度により、有事の際は対ロシア警備の兵隊として一方で教練を受けながら、血のにじむような苦労と努力の末、屯田兵のご家族の方々によって進められました。私の祖父母は1926年、親類筋による屯田兵の地所の一部を開墾・小作しながら父達を育ててきたと聞いております。ただし父の兄弟が成長する頃は、開拓屯田兵の二世・三世の時代背景となり、その方達は比較的裕福な経済状態となっていて、その小作人として育った父達は経済的には相当貧乏な状況にあったようです。そのような環境の中で、父も当時は中学進学をあきらめざるを得なかったという悔しさをよく話しておりました。
秋場農園私が物心ついた頃は、約6ヘクタールほどの水田稲作農家となっておりました。小学校高学年頃から、秋の収穫時は学校から帰ってから星が見える頃までよく手伝った記憶がございます。農家の長男として家業を継ぐつもりでしたが、北限地帯での水稲栽培の為、3年に1度は収穫皆無に近いようなことがあり、私の高校在学中など3年に2度も続いた次第でした。北限の水田農業に親子して絶望してしまった経緯の中、父は自らが断念した進学希望を、自力で就学するなら機会を与えると申し入れてくれ、私は毎日新聞奨学生として、1971年中央大学商学部に入学することになりました。それから5年、途中朝日新聞にきり変わりましたが、なんとか卒業の運びとなり、76年、先輩にあたる千葉県大原町の自然醸造蔵元(木戸泉酒造)の妹であった妻と一緒に北見に戻り、農業を始めました。
さかのぼりまして71年、農薬・化学肥料の大量普及から、戦後の食糧難は一転し、大量の余剰米対策のため、第一次休耕政策の発令となりました。父は絶望した水稲栽培を全面積畑作に変換し、補償金をリスク対策費として全面積を自然農法に切り替え、再び農業の希望を見出しておりました。ちなみに自然農法とは、戦中、戦後、日本観音教団、後の世界救世教の祖岡田茂吉師の提唱した、太陽(火)と空気(水)と地(土)の力のみによって栽培し、人育糞尿堆肥・化学肥料・農薬など一切使用しない農法です。我が家では祖父の代から(私の生まれた52年度)自家用の米・野菜は実験的に栽培証明済みだったので、私の状況に合わせて全面実地に踏み切るに至りました。
当時公害問題がようやく社会にクローズアップされ始めておりました。私も東京での労働と学生の二足の草鞋生活に疲れ、特に当時の空気と川の汚さは、改善されてきた現在より相当ひどかったような気がします。その頃妻や妻の兄と知り合いになった千葉県内にあった自然農法農場は、その後生涯の師と仰がせていただくことになったI先生が青年教育の根幹に無公害農場での実習体験を取り入れて栽培していた農場でした。都会生活での疲れが心底癒され甦ってくる感動の中で、5年前気候条件と経営の厳しさに絶望して東京へ出てきた経緯を乗り越えていこう、という若い情熱が勝り出ました。父との相談の上、政府資金を借り入れ新たに10haの農場を購入して、自らが目覚める基となった事を念頭に、青年教育実習農場と北限の地での自然農法の経営の成就を目標に、76年妻とその第一歩を踏み出した次第です。
前段長くなりましたが、この四半世紀延べ100名近くの青年実習生がおいでになり、多額の負債を抱えながらなんとかここまでやってこれたことを、感謝しつつ振り返らせていただこうと思います。青年の出入り、育成、販売も含めた農場の経営は、I先生のご尽力とご指導無しには今日まで持ちこたえることは出来なかったと思います。農場拡大の準備年の74年、75年と第一歩を踏み出した76年、私が千葉県で青年時代に供に汗した何人かの人達に冬将軍到来前の最も厳しいときに応援していただき、未熟な私たち夫婦をもり立てていただきました。一方で経営、販売面においても、世間の、寒冷地農業に安定した経営形態を確立させ、農家戸数も三分の一くらいに集約し、化学肥料の効率的散布と除草剤始め農薬の適期散布でオートメーション化された世界から見れば、私たちのやっていることはあまりに無為に映ったここと思います。そのことについては若さと健康で、日の出から夜更けまで、妻や実習生と喜びで頑張れたと思います。
秋場農園 秋場農園 秋場農園

しぶや農園 渋谷正和 無肥料自然栽培 【野菜全般】 埼玉
しぶや農園埼玉県富士見市にて農家に生まれ、2003年より就農しました。父の代より約30年間、約1.5haの畑と田んぼを農薬・化学肥料不使用にて栽培しています。2004年前に無肥料自然栽培に出会い、現在は、従来の農薬を使わず、堆肥や自家製有機質肥料(国産おからと米ぬかの発酵肥料)を使う、父が行ってきた無農薬・無化学肥料栽培と、無肥料栽培の2種類の育て方にて、年間約60品目程度のお野菜と果物、お米を育てています。
無肥料自然栽培に出会って1年目、畑を半分以上の畑で無肥料栽培に切り替えるも大失敗。提携して頂いているお客様に安定してお野菜をお届けする為にも、それ以降は一部を無肥料栽培で試しつつ、栽培が安定してきたものから無農薬肥料栽培に移行し、徐々にその面積を広げているところです。
現在、無肥料自然栽培でもほぼ確実に収穫できているお野菜は、大根・人参・トマト・きゅうり・ナス(真黒ナス・青ナス)・万願寺とうがらし・オクラ・ズッキーニ・スイカ・冬瓜・豆類(大豆・黒豆・インゲン・スナックエンドウ等)・長ネギ・さつまいも・ニンニク・柑橘類などです。
また時期によって無肥料自然栽培で育てているものは、小松菜・コカブ・京水菜・チンゲン菜などのアブラナ科葉菜類やレタスなどです。
無肥料栽培に取り組むようになって、私自身の畑との向き合い方にも大分変化が生まれてきました。
一つは、お野菜の特徴を「知ろう」と積極的に思うようになったこと。お野菜たちへの深い理解が、無肥料でお野菜を育てる上では不可欠なのだと気づかされました。
二つめは、自然の理、自然そのものの在り方を意識するようになったことです。これまで「当たり前」と思ってきた育て方には時に自然と反したものがあることに気づくようになりました。病気や虫の被害に遭ったとき、自分のやったことに原因があるのでは、と考えるようになったことが、自分自身が無肥料栽培に出会って最も大きく変わった点だと思います。
また、土質や栽培方法を記憶し、次世代につなげていってくれる種を残す自家採種についても積極的に取り組んでいます。現在約40品種程度のお野菜を自家採種しています。自家採種していくと、形や味が向上するのはもちろん、環境の変化にも対応できる柔軟性が備わっていってくれているように思います。
土質の改善や自家採種、栽培方法の試行錯誤を重ね、無肥料で育てるお野菜の種類・面積を今後も広げていきたいと考えています。

小黒農場 小黒裕一郎 無肥料自然栽培 【高原野菜】 山梨
小黒農場1979年生まれの横浜出身です。山梨県北杜市須玉町に移住し、2012年で8年目となりました。
農業に携わった当初より農薬・化学肥料不使用のいわゆる‘有機’でやってきましたが、2008年秋の甲府での木村秋則さんの講演がきっかけで、無肥料自然栽培に取り組むようになりました。2012年は1.5haの農場のうち、1.3haで無肥料自然栽培を実践しています(スイートコーン20aは有機肥料施肥栽培)。
無肥料自然栽培の実施年数は圃場ごとに異なり、長い所で4年となりました(まだ4年です)。  「この畑の状態なら(無肥料で)トマトは良く育つけど、小松菜は育たない」といった事が何となくですが分かるようになってきましたので、2012年は2反弱の露地雨除けトマトを主力に、今の畑の状態で確実に収穫出来る数品目に絞って栽培しました。 結果、どの畑でも目標以上の収量を得ることが出来ました。
一方、課題もたくさんあります。
今の当農場の自然栽培は、「これまでの蓄えの使い果たし農法」です。自然栽培3,4年目の圃場となると、特に葉物等は収量が激減します。そんな圃場の地力をいかに上げていくかがこれからの課題です。
2008年の木村さんの講演を機に、山梨でも無肥料自然栽培の実践者が少しずつ現れ始め、その実践者同士が情報を共有し、一緒に技術向上に向かっていけるよう、2011年春に‘木村式自然栽培勉強会@山梨’という任意団体を立ち上げました。実地での勉強会や先進地への視察、成果発表会等を行い、少しでも他県のレベルに追い付けるよう、仲間と一緒に取り組んでいます。
小黒農場 小黒農場 小黒農場

なりさわ生命食産 成澤之男 無肥料自然栽培 【米】 宮城
なりさわ生命食産私たちの住む宮城県登米市は、日本一のJAS有機米の生産地と言われており、昔から米作りが盛んな農村地帯でした。私の生まれ育った家もそんな地域のしがない農家で、今となっては家業を継いだことになるわけですが、実は好きで農家を継いだわけではありません。なぜならば若き日の私は、実家を飛び出して自分でトラックを持ち、運び屋をやっていたからです。一日の睡眠時間が2時間~4時間ほどと肉体的にはかなりの重労働でしたが、水揚げも一千万以上と申し分なく、なんといってもやりがいのある仕事でした。
そんな私が、なぜ家業を継いで米作りを始め、そして自然栽培に取り組むようになったのか?きっかけは、地元の稲作が盛んだったからでもなく、高値で売れるからでもありませんでした。
なりさわ生命食産子供が生まれたら川の字になって寝ることが夢だった私に、長女ができたのは私が29歳の年でした。この娘が小さなときにはまだトラックの仕事をしており、家へ帰れるのは多くても一ヶ月に4回程ひと晩寝に帰るだけで、一度も帰れない月もありました。「帰るよ」と電話をすると何時になっても床につかずに私を待っていて、コタツで寝てしまって布団に運ばれてもすぐに目を覚まして戻ってくる・・・を繰り返し(笑)、朝方になろうとも、私が無事家に着くまで必ず茶の間で待っていてくれる娘でした。そんな娘が3歳になったころ、アトピー性皮膚炎を発症したのです。この出来事をきっかけに、私は子供たちの為に食の安全について考えるようになり、のちに専業農家へと転身することになったのでした。
その後は、決してスムーズではありませんでしたが、実際に作物と向き合って試行錯誤を繰り返し、また本当に数多くの方々に出会い、お話を伺うなかでたくさんの感銘を受け、有機JAS米、無肥料自然栽培米へと進むこととなりました。
まだまだ未熟者ではございますが、これからも子供のために、身体が悪くて困っている方のために、そして今は健康体だと思っている方にも将来健康を害して困ることが無いように、皆様によりよい生産物をお届けすべく精進して参ります。先生方、諸先輩方と、お付き合いいただいている企業の皆さまのご協力を賜りながら、作物に対して目一杯の思いやりと愛情を持って接し、目一杯の努力を持って生育の手助けをしていきたいと考えておりますので、皆さまどうぞ宜しくお願い致します。
すべてに感謝します。ありがとうございます。

折笠農場 折笠健 無肥料自然栽培 【野菜・豆】 北海道
折笠農場私が木村秋則さんと出会ったのが2002年。
青森でリンゴを農薬、肥料を使わず栽培している、木村さんという人が居ると聞き、正直信じられませんでした。何故ならリンゴは農薬無しでは栽培不可能と考えられていたからです。まして肥料も使わないとう離れ技!
私の父の代から農薬を減らすための土作り、耐病性に優れた品種を導入し無農薬でできるジャガイモの生産を実現することができましたが、肥料を使用しないで栽培することに、父親も私も物凄く抵抗を感じていました。
折笠農場そんな時に木村さんと出会う機会があり、「自然のサイクルを理解できなければ無肥料自然栽培はできないよ」と言う言葉に心をうたれ今まで、父親や地域の先輩方に教えてもらっていた技術で、自然のサイクルの観察とか自分の作っている作物がどんな歴史をたどって、どんな環境のなかで生き延びて来たのか真剣に考えたことはあまりありませんでした。
肥料を使わないで栽培することの抵抗感は父親共に無くなる事はかったのですが、それでもやってみたいという気持ちが大きくなったのはたしかでした
その時、木村さんから土作りの指導をいただき、本格的に自然栽培を父親と共にチャレンジする事ができました。
と同時期に木村秋則自然栽培研究会・北海道の発足の中心的な役割をはたす、芽室町で木村秋則さんのリンゴ栽培の弟子林克彦、堀田忍との出会いと、この栽培に可能性を感じ応援していただいている全国の先輩方のおがげで、木村秋則自然栽培研究会・北海道を立ち上げる事ができました。

棚宗サラダ農園 石川寛子 無肥料自然栽培 【野菜】 愛知
棚宗サラダ農園棚宗サラダ農園は、愛知県碧南市と西尾市に流れる矢作川下流の砂地で、露地野菜を栽培しています。
棚宗とは祖父の代からの呼び名です。10年前後継者の兄を亡くし慣行栽培に疑問を持ち私は平成10年より実家の農業を手伝い始めました。
サラダの意味は、生で安心して食べられる野菜作りを目指す目的で改名しました。
平成元年妹に待望の子供が生まれた時、アトピー性皮膚炎で生まれ、農薬を使わないものを食べさせて育てるように病院で言われました。しかしその当時農薬最先端で、朝晩農薬をかけすぐに出荷しても良い時代でした。かつ農薬を使わない野菜は、少なく見た目も悪くまずそうに見えていたので、自分たちの食べる野菜は母に作ってもらいました。
農業を手伝いだして、農薬は嫌でしたが虫の食ったものは、売れません!
そんな現実もあり、そのまま慣行栽培を続けていました。木村秋則さんに出会う半年ほど前、添加物はご飯にかけて食べられるよね。しかし農薬をご飯にかけて食べられますか?と聞かれ農薬の使用を止める決心がつきました。それと同時に改名もしました。
木村秋則さんと自然栽培の出会いは、平成19年3月に安城の講演会でした。
今まで当たり前に農業(慣行栽培)をJAの指導のもとに栽培していましたが、木村さんの講演の話は慣行栽培と掛け離れたもので、話を聞いて何度も頭に落雷が当たったほどの衝撃でした。次の日講演会もまた聞きに行ったことを思い出します。(忘れられないのですが!!)
木村さんの話の内容は、とにかくJAとはまっさかさまで、例えば虫は悪くない、肥料は入れない、堆肥は入れない、農薬、除草剤はしない。ないないの連続でした。
棚宗サラダ農園でも私達は、簡単に物事を考える事しかできない人間なので、こんな風に考えました。
自分の体に置き換えて、元気ならば風邪を引かないよね~!病気しないよね、そしたら病院、薬、サプリメント要らないんだよネ!
そしてその年4月から大豆と麦を使って家庭菜園でナス、ピーマン、西瓜、さつま芋なんとなく出来てしまったので夏には人参を播き、玉ねぎも栽培してしまいました。しかし大失敗となってしまいました。
勘違いの連続でうまくいかなかった数年間楽しく、苦しくそして欲張りな日々。出来た作物は、虫に食われていようが、形が悪かろうが、全部食べちゃいたいほどかわいいです。私達のところは、砂地なので昔から落花生を栽培しています。(根粒菌が付きます)から1町位蒔きました。良く実った畑、実りの少ない畑いろいろ有り、根粒菌は昔ほどつかなくなり、なんだか寂しいような嬉しいような気持ちです。
何時も木村さんには、棚宗棚宗と呼んで頂いていますが私は、自称愛弟子と言っています。
これからの目標は失敗せず(最小限になるよう観察して)土地(畑}にあつた物を作り、5年間の失敗が無駄にならない様に、若い人達と一緒に輝きたいです。

あかし農園 明石誠一 無肥料自然栽培 【野菜全般】 埼玉
あかし農園埼玉県入間郡三芳町在住。出身は東京都板橋区。2002年実家から通いながら研修を行った後、2033年に4畝の荒れた畑を開墾して就農。2005年に農林公社の就農支援をきっかけに畑を広げる。
現在1町4反の畑を耕作。露地野菜を栽培して、販路は個人宅配と自然食品店に出荷。
就農当初から自家採取は始めていたが、2006年ごろから固定種による自家採種開始する。就農当初は有機栽培を行い、2005年にサンスマイルの松浦さんと出会い無肥料自然栽培を知った。有機栽培を否定されたように感じていたが、本当に出来るかどうか自分でやってみないと納得できずに、その年の冬作全て無肥料で栽培してみた。
結果は散々だったが、そんななかでも出来た野菜がいくつかあった。ニンジン、水菜、小松菜などが出来てニンジンは交配種だったが家族から今までで一番美味しいと好評だった。
そんなことから何故で出来たのかさらに知りたくなり、木村さんの話や、無肥料自然栽培農家さんの話を聞かせていただき、徐々に畑を無肥料に転換していった。2008年より全面無肥料自然栽培に転換。

無肥料自然栽培 稲本薫 熊本県八代
無肥料自然栽培 稲本薫昭和28年に生まれ八代高校卒業後、熊本の果樹園芸講習所で2年間ミカンの勉強を続けている中で、当時の病理部長山本茂氏に脱線授業で玄米食を教えてもったことが、安心なお米つくりへの大きなキッカケとなりました。
粕(かす)は 米へん に 白 ←白米は粕糠(ぬか)は 米へん に 康らぎ(やすらぎ)←糠にはやすらぎ
玄米食を実践しながら上記の漢字の成り立ちが腑に落ち、近隣の自然食品販売店との出会いを通じて玄米食をするなら健康な米をたべたい!という思いが募りました。
24歳の時(昭和52年)に無農薬で米つくりをスタート。今から約35年前の事です。
当時は周りの理解も得られず、しかも雑草だらけで収穫もわずかでした。そのような中でも理念を貫き、27歳(昭和55年)から無肥料自然栽培での米つくりを続けています。
平成2年頃に特定害虫とされ多くの農家を悩ませていた「ジャンボタニシ」が雑草を食べ、稲に害を与えない田んぼの管理を近隣の生産者である遠山氏と発見し、技術体系し除草管理にも目途がたちました。現在ではこの方法で各地の無農薬、無肥料自然栽培生産者が除草から解放されてきています。(ジャンボタニシは温暖な西日本のみに生息するタニシ)
現在は、当時では考えられなかった大和タニシとジャンボタニシが共生し、命あふれる生態系がよみがえっています。
また熊本にある東海大学農学部で無農薬、無肥料自然栽培を研究されている片野學教授とともに、平成7年「環境保全型農業技術研究会」を設立。稲本さんは初代副会長を務められ多くの方の指導にも奔走されています。
稲本薫さんは自信の名前の通り、「稲」を「本」とした人生を送るなかで、「薫」りあるお米をつくり、食べて頂く方々が健康になり、食卓で笑顔を増やすことが自分の使命、天命と自認し日々邁進しています。
現在は奥様息子さんと共に稲作に励みながら、八代市の体育協会副会長をも務め、地域とともに活動をされている稲本さん。
熊本の巨匠、稲本薫さんのお米をどうぞおたのしみください。
自信を持ってお届けさせて頂きます。