地球環境・農業の未来
ヒグマが人里に来る理由奪い合えば足りない、分け合えば余る
北海道・余市のぶどう農家さんから、一枚の写真が届きました。畑のモニターカメラに写っていたのは、四つ足の背丈がブドウ棚に迫るほどの大きなヒグマです。この熊は毎日のように畑に現れているそうで、農家さんは「もうこの畑は収穫を諦めて、ヒグマ専用の畑にした」と、特別な感情を込めるでもなく話していました。

なぜヒグマが人里にやってくるのか。猛暑など異常気象の影響でドングリやキノコなど当たり前だった秋の食べ物が消えてしまったこと。山を切り崩し、ソーラーパネルの設置で森がなくなり、棲む場所がなくなったこと。山の中から食べ物が急速に失われています。
僕は小学生の頃、アイヌの人たちが多く暮らす町に住んでいました。アイヌの人たちはこう考えていました。「ヒグマがいる場所は、人も生きられる場所だ」と。ヒグマが生きられるということは、森が深く、川にサケが遡上する、木の実や山菜が豊富で獣がいる、ということです。熊の存在は、自然の豊かさを測る目安でもありました。
昨年秋、余市川のそばの旅館に泊まりました。朝、川へ行くと、海から戻ったサケが産卵のために上流を目指し、跳ねながら川を登っていました。ところが、その先には人工的に作られたル ートがあり、行き止まり。サケは、それ以上先へ進むことができません。かつてヒグマは山の上で待っていれば、サケという十分な食べ物にありつけました。今は、その流れが川の途中で止められています。

問題が起きると、僕たちはつい「分断する」「排除する」「管理する」ことで何とかしようとします。けれど、流れを断ち切らず、活かしながら整えるという考え方もあります。自然はコントロールできないから、共存する関係性を模索するという、自然栽培の農家さん的な発想法です 。
奪い合えば足りない、でも、分け合えば余る。それって、熊だけの話ではないかもしれません。
